建築を旅してplus
函館市 編 (Ⅲ) ①
相馬株式会社
相馬株式会社は、かつての函館の経済・金融街の中枢部であった、基坂(もといざか)のふもと、大町電車通りの角地に建つ函館の代表的木造洋館です。
北海道屈指の豪商といわれた相馬哲平(函館市編(Ⅱ)①参照)は1863年(文久3年)に弁天町で相馬商店として、米穀商を営みますが、経済・行政の中心が大町付近にかわった明治30年代になると、現在地へと拠点を移動します。
その後の大火で被災するなど、紆余曲折があったものの、大正時代に現在の建物が建つこととなります。
1914年(大正3年)に建てられたルネッサンス風の2階建て事務所建築ですが、創建当時のままの姿を見せる重厚な風格で、西部のまちなみのランドマークになっています。
建物を少し詳しく見ますと、基礎には花崗岩が2段重ねになっており、その上に、土台、さらに軸組が建つ構造です。
外壁は箱目地下見になっています。 現在、その外壁はペール・グリーンが塗られていますが、戦時中に茶色に塗られた以外は緑系の色合いが継承されているといいます。
玄関や1階窓の三角ペディメントの上げ下げ窓、2階には櫛型ペディメント、ドーマ窓(屋根窓)、軒下や胴蛇腹の飾りパネル、2階にはパラディアン窓(半円形窓のこと)、見事な玄関のブラケット(持ち送り)、などを見ることができます。
内部は見ることができませんでしたが、事務所空間には、コンポジット式円柱が見られるそうです。
竣工 - 1914年(大正3年) (大正5年竣工という情報もあります)
構造・規模 - 木造2階建 マンサード屋根瓦葺
所在地 - 函館市大町9−1
設計者 - 筒井長左衛門
施工者 - 筒井長左衛門
受賞歴・指定等 - 歴風文化賞、伝統的建造物
その他 - 旧相馬合弁会社
函館市 編 (Ⅲ) ②
函館中華会館
この建物は、日本に唯一現存する関帝廟形式による会合場所で、全国的にも貴重な遺構だといいます。
函館には横浜、神戸、長崎のような中華街は存在していませんが、当時、多くの華僑が生活しており、この建物が建つ以前にも、その前進となる「同徳堂三江公所」という函館華僑の会合場所がありました。
しかし、この会合場所は1907年(明治40年)の大火で焼失したため、華僑達が中心となって出資し、1910年(明治43年)、現:函館中華会館が竣工となったものです。
建物のつくりは主棟(関帝を祀る)、翼廊(左右前方に延びた)、正面玄関棟からなっています。
外壁は赤煉瓦1枚半積の出目地であり、この壁は清朝時代の伝統工法に従って作られたもので、釘が一本も使われていません。
設計や彫刻など工事に携わる人は全て中国から招いています。
その内訳は、中国人大工8人、彫刻師2人、漆工5人ですが、日本人大工も協力し、煉瓦積は工藤弥寿治が担当したといいます。
なお、木材・煉瓦・祭壇・什器等資材なども同様に中国から運ばれてきました。
外観もさることながら、特に内部は艶やかで、朱の漆塗りの柱・梁・天井や、絹とガラスのランタン、金色の扁額、各種装飾などが美しく見ごたえがあります。
しかし、かっては内部を一般公開していたものの、残念ながら2005年以降は基本的に見ることができなくなってしまいました。残念です。
竣工 - 1910年(明治43年)
構造・規模 - 煉瓦造平屋建、瓦葺、374㎡
所在地 - 函館市大町1-12
設計者 - 朱英表
施工者 - 中国人大工、工藤弥寿治ほか
受賞歴・指定等 - 函館市景観形成指定建築物 国登録有形文化財
その他 - 社団法人函館中華会館の所有
函館市 編 (Ⅲ) ③
旧イギリス領事館
元町公園から基坂(もといざか)を下り始めると、すぐ右手にユニオンジャックが見えてきます。その奥にある瓦葺き寄棟屋根で、生成り色の外壁に青色の軒天井と窓枠が印象的な建物、これが旧イギリス領事館です。
函館港が国際貿易港として開港した1859年(安政6年)に創建されたものの、数回に渡り、火災により、焼失しています。
なお、イギリス領事館は、アメリカ、ロシアに次いで、3番目に函館に開設された領事館とのことです。
現在の建物は1913年(大正2年)に竣工していますが、1934年(昭和9年)に閉鎖されるまで、イギリス領事館として、使用されていました。
その後、1979年(昭和54年)に函館市指定有形文化財に指定された後、1992年(平成4年)の市政施行70周年を記念して復元され、一般公開となっています。
外観は基本的に無飾りの洋館で、基礎には石積みが施されています。
内部に入りますと、各展示室から当時の生活が偲ばれます。英国の輸入雑貨の店やカフェもあり、英国の雰囲気を満喫することができます。
暖炉には、室ごとに色違いのタイルが施されています。 いつ来ても、観光客でいっぱいです。人気の観光スポットなんですね。
竣工 - 1913年(大正2年)
構造・規模 - れんが造2階建 桟瓦葺
所在地 - 函館市元町33−11
設計者 - 英国工務省上海工事局 (キーツ)
施工者 - 大村合名会社建築部 (新庄幸次郎)
受賞歴・指定等 - 函館市指定有形文化財、函館市伝統的建造物
函館市 編 (Ⅲ) ④
旧ロシア領事館
急な幸坂をかなり上りつめると、赤煉瓦の外壁に2階部分の白い漆喰縁取りと玄関部の隅石がコントラストとなった印象的な建物が見えてきます。
この建物が1908年(明治41年)竣工の「旧ロシア領事館」ですが、函館とロシアの交流の象徴的建物となっています。
また、日本に唯一残る帝政ロシア時代の領事館の建物であり、函館市の「景観形成指定建築物」にもなっています。
一見して、洋館に見えますが、正面入口上部には寺院風の唐破風、柱上部には組物があるなど、風変わりで魅力的な和洋折衷建築です。
1994年(昭和19年)には閉館となり、その翌年から1996年(平成8年)まで、青少年宿泊研修施設として一般開放されていましたが、現在は外部のみしか見ることはできません。 設計は、ドイツ人、リヒャルト・ゼールですが、1903年に帰国したため、その後をゼールの事務所に入ったデ・ラランデが継いでいます。
この設計の前に2つの設計案が却下となっています。
最初の案は初代ニコライ堂の設計者であり、有名なお雇い外国人建築家、ジョサイア・コンドルでしたが、審査員の御眼鏡にかなわなかったようです。
竣工 - 1908年(明治41年)
構造・規模 - 煉瓦造2階建 延床面積1291.05㎡
所在地 - 函館市船見町17-3
設計者 - リヒャルト・ゼール 受
賞歴・指定等 - 函館市景観形成指定建築物
函館市 編 (Ⅲ) ⑤
旧開拓使函館支庁書庫
この建物は、1879年(明治12年)の大火の後に建てられたと考えられています。 構造は煉瓦造ですが、煉瓦に明治7年~9年の函館製造などの刻印があり、開拓使が1867年(明治5年)に創設した上磯町茂辺地の「茂辺地煉瓦石製造所」の製品であることがわかります。 また、窓には防火の鉄扉と鉄柵が設けられるなど、防火対策が施されていることもあり、1907年(明治40年)の大火で類焼を免れることができた数少ない建物だといいます。
さらに、よく見てみますと、外部四隅には隅石が組まれ、窓廻りも石造になっています。さらに、煉瓦の積み方はフランス積みといった特徴が見られます。
なお、煉瓦職人は当時、月給20円で東京から呼び寄せたといいます。明治19年の小学校教諭の初任給が8円といいますから、高額ですね。
内部を見ることはできませんでしたが、小屋組は、「杵束式木造トラス」だそうです・・とはいえども、「杵束式(きねづかしき)木造トラス」という言葉を聞いたことがありません。たぶん、クイーンポストトラスのことなんでしょうね。
明治の初めに造られたことから、わが国の煉瓦造りの歴史を伝える貴重な建築物といえます。
竣工 - 1880年(明治18年)
構造・規模 - 煉瓦造2階建
所在地 - 函館市元町12-1(元町公園内)
設計者 - 開拓使函館支庁
受賞歴・指定等 - 道指定有形文化財、伝統的建造物
函館市 編 (Ⅲ) ⑥
旧北海道庁函館支庁庁舎
この旧北海道庁函館支庁庁舎が建つ元町公園付近は、古くは松前藩の番所に始まり、常に行政の中心地でした。
建物を見ますと、古代ギリシャのコリント様式にならい、中央部にふくらみとコリント式の柱頭飾を持つ4本の円柱と三角ペディメントが特徴的な木造庁舎です。
正面中央の壁には2本の半円付け柱が、また、四隅には角付柱が付けられています。
また、 外壁の淡い緑灰色に対比して、柱と窓周りは濃い緑灰色として、控えめなアクセントカラーになっております。
さらに、上げ下げ窓を見ますと、窓台はなく、上枠中央には、やはり、控えめなキーストン風の飾りがついています。
1991年(平成3年)には内部を焼損しましたが、1994年(平成6年)に復元、現在は函館市写真歴史館、元町観光案内所として、一般公開されています。
竣工 - 1910年(明治43年)
構造・規模 - 木造2階建 384.935㎡
所在地 - 函館市元町12-18 (函館公園内)
設計者 - 家田於菟之助 (北海道庁)
施工者 - 鈴木仙蔵
受賞歴・指定等 - 北海道指定有形文化財、函館市指定伝統的建造物
函館市 編 (Ⅲ) ⑦
十二銀行函館支店
第十二国立銀行(十二銀行)とは明治10年に石川県に開業した民間資本による銀行であり、移転、合併を繰り返し、現在の北陸銀行の前身となっている銀行ですが、1926年(大正15年)には函館支店として、開業されています。
この函館支店は北海道では小樽、札幌、旭川につぐものでした。
次々と支店が道内で設置されていきましたが、1919年(大正8年)の設置銀行数を見れば、函館に設置された支店は7行、小樽は10行、札幌は4行ということですから、この時期には、すでに、本道金融の中心が函館から小樽へと移っていったことがわかります。
さて、建物に目を向けますと、外観は、隣の緑地と接する正面左手の玄関部分を搭状に1段高く上げて、全体のアクセントにしているといいます。
壁仕上げは1階部分に白っぽい花崗岩、2階、3階部分は茶色のタイル貼りといったコントラスト、パラペットをモルタル塗りで引き締め、さらに、時代背景からか、外壁にはさまざまなデコレーションが見られます。例えば、窓上部には歯形状装飾や縦溝装飾の繰り返しパターンなどです。 昭和9年の大火で焼け残った、数少ない建築の1つだそうです。
設計者である木子幸三郎は宮内省内匠寮技師の経歴から、皇室関係の建築を多く手がけたことで知られています。 なお、父親の木子清敬も同様に、宮内省内匠寮技師であった経歴を持ち、代々、御所の造営に関わってきた家柄です。 さらに、父、清敬は日本で始めて日本建築史の講義を東京大学の前身である工科大学で行なった人物でもあります。
話しは、少しそれますが、建築史は文化史・美術史・技術史・社会史の一つとしても捉えられる、非常に奥行き広い学問で、建築学を工学の分野として捕らえるのであれば、他の工学にはない学問だといわれています。 話を戻します。 木子幸三郎の代表作としては竹田宮恒久王の邸宅として建てられた旧竹田宮邸(片山東熊との共同設計)や、この旧十二銀行函館支店、渡邉千秋邸、旧高松宮翁島別邸などがあります。旧竹田宮邸はフランス・ルネサンス風、渡邉千秋邸はハーフチンバースタイルのイギリス風、旧高松宮翁島別邸は和風と、さまざまな作風を自在に手がけた人物です。
竣工 - 1926年(大正15年)
構造・規模 - 鉄筋コンクリート造地上3階建、地下1階建
所在地 - 函館市豊川町15−20
設計者 - 木子幸三郎
函館市 編 (Ⅲ) ⑧
旧函館師範学校─北方教育資料館
北海道教育大学函館校の前身は1914年(大正3年)竣工の北海道庁立函館師範学校です。
同窓会(夕陽会)の熱心な旧校舎保存運動により、1967年(昭和42年)に玄関と両脇の部屋部分が残されることとなりました。
現在の位置に移転・北方教育資料館として活用保存されています。
木造2階建て菱葺鉄板屋根の建物ですが、白く塗られた下見板張りに濃い茶系色の縁取りといったコントラストが外観を個性的にしています。
詳しく観察しますと、両脇には4連の引き下げ窓、正面中央にはランタン付き塔屋、さらに前面には柱頭飾りを持つ柱で支えられた切妻屋根の車寄せがあり、歴史性を感じさせてくれます。
職員の方には丁寧な対応を頂き、とても楽しく建築を旅することができました。
建築:1914年(大正3年)
構造・規模 :木造2階建
所在地:函館市八幡町1番2号
指定等 : 登録有形文化財(建
函館市 編 (Ⅲ) ⑨
旧丸井今井百貨店函館支店─函館市地域交流まちづくりセンター
昭和初期には函館の日本橋とうたわれた末広町のモダンぶりを代表するのが、デパートであったこの建物 ─ 旧丸井今井百貨店函館支店です。
北海道民は親しみを持って「丸井さん」と呼んでいましたが、(株)丸井(OIOI)とは、関係のない企業です。
中に入ってみますと、今も現役の客用エレベーター(東北以北最古のエレベーター)や大階段室から、かっての華やかな雰囲気を読み取ることできます。
電車通りと南部坂との交差点に面した曲面の隅各部が主玄関で、電車通り側4階建て部分のうち、3階までが1923(大正12年)の建築、山側塔屋のある5階建て部分と4階フロアーは1930年(昭和5年)の増築です。
1934年(昭和9年)の大火では、シャッターを閉じた状態で12時間にも渡り、延々と内部が燃えています。
学術調査でも解体やむなしとの診断がされましたが、老舗の信用を優先する百貨店側は、構造学の大家であり、東京タワーの設計者として知られる内藤多仲博士に委嘱して、更正計画を作成しました。
結果として、解体せずに構造補強を行う手法を選択することから、復興に至っています。
各階に見られる柱と柱を対角線上に結ぶ大梁は、この際に附加されたものです。
丸井の移転後、水道局庁舎として使われた時期を経て、2006年(平成18年)に大改造が行なわれ、現在は函館市地域交流まちづくりセンターとして、活用されています。
竣工 - 1923年(大正12年)
構造・規模 - 鉄筋コンクリート造5階建
所在地 - 函館市末広町4−19
設計者 - 木田組施工者 - 木田組
受賞歴・指定等 - 市景観形成指定建築物
その他 - 現:函館市地域交流まちづくりセンター
函館市 編 (Ⅲ) ⑩
旧遠藤吉平商店
1878年(明治11年)と1879年(明治12年)に発生した大火後に、開拓使は防火造建築奨励施策を行ないました。
石造り、れんが造り、土蔵造りに対して資金融資を行うこととしたものです。
これを機に、有力商人達は防火造り町家を建築して行ったのです。
例えば、この旧遠藤吉平商店や旧金森洋服店、太刀川家などが防火造り町家になっていました。
外観だけ見ますと、この建物と金森洋服店は洋風仕立てになっているのに対して、太刀川家は和風土蔵造り風となっており、ずいぶんと印象が違って見えます。
さて、この建物は1885年(明治18年)に建築されていますが、構造はれんが造で、れんが2枚積み、その上に漆喰が塗られ、石造りのように仕上げています。
また、かっての室内は、1階がれんが敷きの店舗、2階は畳敷きとなっていました。
1907年(明治40年)の大火の復旧時に、部分的に改造されてはいますが、1階の3連アーチや2階のアーチ型の窓は建てられた当時のままだといいます。
竣工 - 1885年(明治18年)
構造・規模 - れんが造2階建
所在地 - 函館市大町9−14
受賞歴・指定等 - 市景観形成指定建築物