建築を旅してplus

函館市 編 (Ⅳ) ①

旧函館海産商同業組合事務所

 大正の初めまで、函館海産物市場にかかわる海産物取扱商人達は、業種ごとに組合を設立して活動していました。

 そのため、大同団結は困難とされていましたが、関係者の努力により、円滑な海産物取引を目的とした函館海産商同業組合が1915年(大正4年)に結成されました。

 その5年後、1920(大正9)年に、この建物が建てられました。

 当時、この界隈は函館経済の中心地であったことから、現在も建築デザインの優れた建物が多く保存されているせいでしょうか、当初、この建物も目立った印象はありませんでしたが、よく見てみますと、関根要太郎流のデザイン満載ということがわかり、しばらく見入ってしまいました。

 かつては、煙突頂部や破風部分には、波状の飾りレリーフが施されていたといいますが、現在は取り外されています。 

 しかし、現在も左右部分が穏やかに膨らんだる外壁や軒先の曲線といった柔らかなデザイン、さらに、各ディティールには、時代を物語る多様なデザインを見ることができます。

 それに、木造とは思えない、堂々とした仕上がりですね。 

 平成5年の南西沖地震で大きく、破損したものの、創建当時のイメージ保存に努め、内部の間取りすら、ほぼそのままに修復されたといいます。また、大火も凌いだということですから、強運の建物といったところでしょうか。

 なお、関根要太郎の経歴や作風、建物様式などについては、函館市編(Ⅰ)②旧亀井邸で述べさせていただきましたので、参照していただきたいと思います。

 

竣工 - 1920年(大正9年) 

構造・規模 - 木造3階建

所在地 - 函館市末広町15−3

設計者 - 関根要太郎

受賞歴・指定等 - 景観形成指定建造物 歴風文化賞

その他 - 693㎡

函館市 編 (Ⅳ) ②

旧函館博物館一号・旧函館博物館二号

 写真、上段が旧函館博物館一号、下段が旧函館博物館二号となっていますが、どちらとも、函館公園内に隣接して建っています。

 これら建物を語る前に、函館公園についてまとめてみます。

 公園管理者によりますと、以下の説明がされています。「明治12年に開園し、近代日本における都市公園を代表するものの一つです。当時のイギリス領事ユースデンが、病人にも病院が必要なように、健康な人にも休養する場所が必要という呼びかけに多くの市民が賛同し、資金の提供や労力の提供などが相次いで、工事が進められ、市民参加で造築された函館公園は、全国でも類のないものといわれています。園内は、造成当時の原型がよくとどめられ、春の花見時期には、約420本のサクラが見事に開花する桜の名所ともなっています。また、道の有形文化財である旧函館博物館一号・二号や市立函館博物館本館、同図書館等、さらには道内初の動物飼育施設(ミニ動物園)などがあり、多様性のある空間が函館公園の魅力でもあります。」

 他の資料を見ますと、当時、すでに在留外国人の生活環境改善を求めた条約の中で、日本は公園整備を義務付けられていたといいますが、資金の都合や神戸・横浜と比べると外国人が少ないこともあり、なかなか実現されませんでした。

 しかし、イギリス領事ユースデン夫妻の薦めもあり、ようやく、北海道最初の公園として開設されたと記されています。さらに、1956年(昭和31年)開園の、とてもレトロな遊園地もあり、多くの親子連れなどが訪れています。最近、頻繁にメディアにも紹介されていますね。

 

 さて、1879年(明治12年)竣工の旧函館博物館一号ですが、もともとは、開拓使函館支庁が先住民族や動植物を展示公開するために建てられた仮博物館であり、現存する地方博物館では、わが国最古です。

 木造平屋の左右対称、下見板張りに白ペンキを塗った西洋館で、内部は1室となっています。正面ポーチの切妻面に、開拓使の五稜星章、簡略に装飾された軒蛇腹、控えめな柱頭部の装飾など無装飾に近いとされています。

 一方で、1884年(明治17年)竣工の旧函館博物館二号は、開拓使廃止後、開拓使東京出張所仮博物館の陳列品を移すために函館県【※1】が建てたものです。函館県時代の官庁建築としては唯一現存するとされており、これも貴重な建物です。

 一号と比較しますと、軒蛇腹や玄関廻りなど、凝った装飾が随所に見られます。

 

 2施設とも、1966年(昭和41年)に現在の市立函館博物館本館が開館するまで使用されていました。

 どちらも公園内のゆったりとしたロケーションにあるせいでしょうか、とても洗練されたデザインに感じられます。

 

【※1】函館県1882年(明治15年)に北海道には北海道開拓使が廃止され、「札幌県」、「函館県」、「根室県」の3県が設置された。しかし、4年後の1886年(明治19年)には廃止され、北海道庁が設置されている。これを「廃県置庁」という。

 

旧函館博物館一号

竣工 - 1879年(明治12年) 

構造・規模 - 木造平屋建

所在地 - 函館市青柳町17−5(函館公園内)

設計者 - 開拓使函館支庁

施工者 - 田中善蔵

受賞歴・指定等 - 道指定有形文化財

 

旧函館博物館二号

竣工 - 1884年(明治17年) 

構造・規模 - 木造平屋建

所在地 - 函館市青柳町17−4(函館公園内)

設計者 - 函館県

施工者 - 浜谷新助

受賞歴・指定等 - 道指定有形文化財

函館市 編 (Ⅳ) ③

旧函館郵便局舎

 この建物は1911年(明治44年)に函館郵便局として建てられたものですが、局舎移転に伴い、1962年(昭和37年)には民間へと払い下げられます。

 民間資本による歴史的建造物の転用・再生のさきがけとして、事務所や倉庫として使われた後、1986年(昭和37年)ショッピングモールへと転用・活用されています。

 現在は、ガラス製品やオルゴール、土産物を販売するショッピングモールになっており、函館のベイエリアにふさわしいお洒落な空間を演出しています。

 もともと、この地に北海道最初の郵便局として、1872年(明治5年)に開拓使郵便局が開局していました。さらに、1885年(明治20年)には函館郵便電信局と改称、1907年(明治40年)の大火で焼失してしまいます。その後、1911年(明治44年)に着手したのが、この建物です。

 

 地盤が悪かったために、1200本の木杭を打ち、地盤を2m掘り下げて古煉瓦コンクリートを埋めたといいますから、大変な基礎工事だったことが推測されます。

 外壁は重厚な赤煉瓦ですが、蔦が絡まっていることから、季節ごとに美しくコントラストを変えています。

 さらに、よく見ますと、白バンドや半円形アーチ窓、さらに破風の装飾などが見事です。内部は吹き抜けになっており、大胆な木造のトラス架構を見上げることができます。

 

 さらに、歴史を紐解きますと、郵便制度の創始者で「郵便制度の父」と呼ばれた前島密は23歳の時に箱館の武田斐三郎の諸術調所に学んでいましたし、箱館戦争の幕軍総裁であった榎本武揚は初代逓信大臣になるなど、函館は郵政ゆかりの地なのです。

 

竣工 - 1911年(明治44年) 

構造・規模 - 煉瓦造2階建 2.715㎡木

所在地 - 函館市豊川町11-17

設計者 - 逓信省 

施工者 - 猪之橋組

受賞歴・指定等 -

その他 - 現:はこだて明治館

函館市 編 (Ⅳ) ④

高田屋喜兵衛資料館

 この資料館は、1804年(文化元年)に開かれた高田屋の船作業場(造船所)跡地に、コンブ倉庫として建てられたものです。

 その後、所蔵資料と共に売り出されたものを現所有者が買い求め、1988年(昭和63年)に復元された北前船辰悦丸が、かつての航跡をたどって函館に入港したことを記念して開館となりました。

 

 内部には箱館の高田屋喜兵衛の偉大な業績と、北前船の貴重な資料が館いっぱいに展示されています。1号館は北前船のバラスド(船の安定を図った重石)を利用し、一部に中2階を設けた木造小屋組のバランスのとれた重厚な建物になっています。

 2号館は鉄筋コンクリート造で、小屋組にトラス形式を用いた建物で、工法的にも興味深いものです。

 なお、写真左側が1号館、右側が2号館です。壁に書かれた屋号は「やまたか」と読むそうです。

 

高田屋喜兵衛資料館 1号館

竣工 - 1903年(明治36年) 

構造・規模 - 石造平家建

所在地 - 函館市末広町13−22

受賞歴・指定等 - 歴風文化賞、伝統的建造物

その他 - 旧田中家コンブ倉庫

 

高田屋喜兵衛資料館 2号館

竣工 - 1923年(大正12年) 

構造・規模 - 鉄筋コンクリート造平家建

所在地 - 函館市末広町13−22

受賞歴・指定等 - 歴風文化賞、伝統的建造物

その他 - 旧田中家コンブ倉庫

函館市 編 (Ⅳ) ⑤

天使の聖母トラピスチヌス修道院・聖堂

 この建物は函館市郊外にあるトラピスト会(厳律シトー会)系の修道院です。日本最初の観想女子修道院といわれています。

 1898年(明治31年)にフランスの聖ヨゼフ聖母修道院から派遣された8名の修道女によって創立され、その後1925年(大正14年)と1941年(昭和16年)の2回、火災に遭い再建がなされました。再建時には、焼け残った煉瓦外壁を生かし、当初のデザインが踏襲されています。

 

 外観を見ますと、全体的にはゴシック様式ですが、屋根の白い小尖塔、さらに煉瓦壁や半円アーチの開口部を見ますと、ロマネスク様式も混在され、柔らかな雰囲気が演出されています。

 内部見学はできませんでしたが、売店に併設する資料館で作業の様子などが紹介されていました。

 

 なお、設計者であるマックス・ヒンデルは、1887年スイスのチューリッヒ生まれです

 北海道(札幌市)には1924年から1927年の3年間、夫人とともに暮らしていますが、この間、トラピスチヌ修道院や北星女学校教師館(北星学園創立百周年記念館)を設計するなど、北海道近代建築の開拓者といわれた人物です。

 

竣工 - 明治末期 /1927年(昭和2年)再建 

構造・規模 - 鉄筋コンクリート造煉瓦積2階建、地下1階 修道院 4049㎡ 司祭館 350㎡

所在地 - 函館市上湯川346

設計者 - マックス・ヒンデル

施工:不詳 

函館市 編 (Ⅳ) ⑥

旧野口梅吉商店

 函館市 編(Ⅰ)⑥ 小森商店でも述べてきましたが、この建物は1階が和風、2階が洋風の函館ならではの上下和洋折衷町家となっています。

 また、間口4間半、奥行9間半の鰻の寝床のような形態で、建創当時は米穀店でした。

 

 正面1階間口の上に庇がありますが、これは日除けや雨除けのみならず、1階と2階の和と洋を共存させるためのデザインツールでもあります。 

 1階を見ますと、入り口両側に出格子窓を取付け、壁は真壁造りの和風、庇より上の2階部分は洋風下見板張り、上げ下げ窓、胴蛇腹、軒蛇腹、持送り(ブラケット)など洋風ディティール満載です。

 最近、地元大学生によるリノベーション体験や、シェアハウスなど様々な活用保存の取り組みがなされています。この建物に新たな歴史が刻まれているという気がして、とても嬉しいですね。

 

旧名称 - 野口梅吉商店

竣工- 1913年(大正2年)

廃校年- 平成5年

構造・規模- 木造平2階建 寄棟瓦屋根

所在地—函館市弁天町23-5

受賞歴・指定等 – 歴風文化賞、景観形成指定建築物

函館市 編 (Ⅳ) ⑦

旧金森洋物店 ─ 市立函館博物館郷土資料館

 この旧金森洋物店は1878年(明治11年)と1879年(明治12年)に発生した函館大火後に、豪商、渡辺熊四郎が洋品小間物店として建てられた防火造りの建物です。函館大火後に開拓使は防火造建築奨励施策を行ないました。石造り、煉瓦造り、土蔵造りに対して資金融資を行うこととしたものです。ただし、少ない奨励金であったために、有力商人達など、財力のある者のみが協力する結果となり、この旧金森洋服店や、旧遠藤吉平商店、太刀川家 などが防火造り町家として、建築されました。

 さて、この建物は開拓使唯一の煉瓦工場であった、茂辺地煉化石製造所(上磯町)で作られており、明治7年から8年の刻印が入った煉瓦を使用したイギリス積【※1】ですが、表面は煉瓦の吸水率の高さを考慮してか、漆喰で仕上げられており、石造りのように見えます。

 また、1階入口の鋳鉄柱で支えられた3連アーチや鋳鉄製ブラケット、隅石を配した2階アーチ窓の意匠を見ると、洋風のイメージがしますが、よく見ると、入口や2階窓の内側には厚い土塗りの戸が取り付けられるなど、土蔵造りの手法が踏襲されています。

 なお、屋根は瓦の下(野地板の上)にも、れんがが敷きつめられるといった耐火性の高い造りになっています。煉瓦工事は星野繁治郎、瓦工事は金子利吉、木工事は田中紋造が担当したとあります。 

【※1】イギリス積

煉瓦の積み方には、イギリス積み、フランス積み、アメリカ積み、小口積み、長手積みとあるが、建築ではイギリス積みが、土木ではフランス積みが主流であったという。煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む方式をイギリス積み、一段に煉瓦の長手と小口を交互に積む方式をフランス積みといい、双方とも、芋目地が発生しないように工夫された方式である。

 

竣工 : 1880年(明治13年) 

構造・規模 : 煉瓦造2階建 279

所在地 : 函館市末広町19−15

設計者 : 池田直二

施工者 : 池田直二

受賞歴・指定等道指定 : 有形文化財、市景観形成指定建築物

その他 : 旧名称 金森洋服店

函館市 編 (Ⅳ) ⑧

旧第百十三銀行本店 ─ SEC電算センタービル

 函館の豪商、村田駒吉・杉浦嘉七・田中正右米衛門らにより、明治11年に北海道最初の地場銀行として「第百十三国立銀行」が函館に創設されました (明治12年開業) 。

明治20年には第百十三銀行と改称され、その後、本店として建てられたのがこの建物です。

 変遷を追いますと北海道銀行(現:北海道銀行ではなく、後の北海道拓殖銀行)に合併されるなど、1984年まで銀行として使われてきましたが、現在はコンピュータ会社の所有になっています。

 

 さて、外観を見てみましょう。ユーゲントシュティル的な作風で知られる関根要太郎の代表作品の1つとは言え、とても昭和元年竣工とは信じがたい先進的なデザインです。

 なお、関根要太郎については函館市編(Ⅰ)②旧亀井邸、函館市編(Ⅳ)①旧函館海産商同業組合事務所でも述べていますのでご参照ください。

 出入口はファサード中央に配置され、両側に半円柱が並ぶ左右対称の外観といった古典様式の一方で、パラペット部を連続する波型曲線で飾り、入口両側の柱装飾や入口上部に並ぶ半円形の小窓にはドイツ表現主義的な形式が見事に組み合わされるなど、全体として洗練された不思議なデザインです。 

 

竣工 - 1926年(昭和元年)

構造・規模 - 鉄筋コンクリート造3階建 1175㎡

所在地 - 函館市末広町18-15

設計者 - 関根要太郎

施工者 – 木田組

受賞歴・指定等 - 市景観形成指定建築物 歴風文化賞

函館市 編 (Ⅳ) ⑨

岩崎家住宅店舗

 この建物は1階が和風、2階が洋風の函館ならではの、上下和洋折衷町家となっています。

 2階を見ますと、南京下見板張りに胴蛇腹や軒蛇腹、ブラケット(持ち送り)、縦長窓、窓廻りの装飾など、高水準のデザインになっていますが、何といっても特徴的なのは、色彩建築にあります。

 

 いつの頃からこのような色彩になったのかは不明ですが、そもそも、何故に函館では2階の外観を洋風にしたのかといいますと、商売が繁盛しているということを知らせる広告媒体としての洋風だったとのことですから、この独特な形態・色彩が納得できますね。

 

竣工 : 1924(大正13)年

構造・規模 : 木造2階建て

所在地 :  函館市弥生町8-16

受賞歴・指定等 :  景観形成指定建築物

函館市 編 (Ⅳ) ⑩

旧函館市立図書館

 旧函館市立図書館は函館公園内に位置する鉄筋コンクリート造3階建でシンメトリーの建物です。新図書館が平成17年に五稜郭町に移転・オープンするまで、現役で使われていました。

 1926年(大正15年)に小熊幸一郎、平出喜三郎の寄付金に市費を加えて起工、1927年(昭和2年)には竣工しました。さらに、1928年(昭和3年)には「市立函館図書館」として開館しています。北方文化資料所蔵では世界的に有名だったといいます。

 

 さて、建物を見てみます。

 2階にあたるアプローチ玄関の円柱頭には、簡略化された装飾が施され、正面3階上部にはスズランの装飾、切妻端部の棟部分には屋根獅子が据えられており、全体的に市民に親しまれる軽快なデザインとなっています。

 日本では1930年(昭和5年)頃を境に装飾性の少ない外観に変わってくるといいます。その後、モダニズム建築が台頭することになるわけですが、公共建築の場合には、先進的なスタイルを独断で取り入れることは難しかったのではないかと推されます。

 

 ところで、設計者である小南武一とは、どのような人物だったのでしょうか。

 兵庫県で生まれ、父が勤める製紙会社の建築課へ一旦就職します。

 その後、築地の工手学校(現在の工学院大学)に学んだ後、曽根中條建築事務所に入所し、ここで東京銀座四丁目の服部時計店新築工事を担当したといいます。

 また、この頃、函館では連続して大火に見舞われていたことから、函館市長は曽根中條建築事務所にコンクリート建造物の経験者を依頼します。

 

 このことをきっかけに、小南武一は函館市建築課に所属することとなり、その後、弥生小学校や函館市公民館、そして、この旧函館市立図書館などを手がけることとなった行政建築家です。

 当時の北海道では、設計は役所の営繕部局で行なうのが普通でしたが、その中でも、小南武一は代表格といえるのではないでしょうか。

 なお、市役所組織では、助役まで昇進した人物ですが、退任後も小南一級建築士事務所を設立するなど、生涯にわたり、函館のまちづくりを牽引していきました。

 

竣工 - 1927年(昭和2年) 

構造・規模 - 鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建 1,642.31㎡

所在地 - 函館市青柳町17−2(函館公園内)

設計者 - 小南武一

施工者 - 堀田組