建築を旅してplus

函館市 編 (Ⅴ) ①

遺愛幼稚園

 遺愛幼稚園の敷地は1882年(明治15年)に創立した遺愛女学院発祥の地です。

 さらに、遡れば1875 (明治7)に米国メソジスト・エピスコパル教会の代表であったM..ハリスが開拓使より永代地権を得た場所になります。

 1896年(明治28年)に創立された道内初の幼稚園ですが、大火で焼失してしまいました。

 現在の建物は1913年(大正2年)建築の瀟酒な洋館です。

 

 建物をよく見てみましょう。

 下部が急勾配で上部が緩やかなマンサード屋根、外壁には縦長窓を配する可愛いピンク色の板張りと腰部分にハーフティンバーを取り入れたスティックスタイル、さらに入口上部の櫛形ペディメント(破風)や幾何学的なブラケット(腕木)、そして、煉瓦基礎が特徴的です。

 

竣工 : 1913(大正2)

構造 : 木造2階建

所在地 : 函館市元町4-1

受賞歴・指定等 : 伝統的建築物

函館市 編 (Ⅴ) ②

旧函館西警察署庁舎 ─ 函館市臨海研究所

 江戸時代、松前藩は藩の財政を支えるために、船舶や積荷、旅人を検査して、規定の税金を徴収する「沖之口番所」が創設されましたが、時代と共に、その名称が「沖之口役所」、「海官所」、「海関所」、「船改所」などと改称されています。

 しかし、出港税の廃止とともに船改所も閉鎖されることとなりました。

 その後、1885年(明治18年)に船改所構内に「函館水上警察署」が置かれます。

 水上警察署(すいじょうけいさつしょ)とは、主に沿岸部を管轄する警察署のことで、現在も横浜・大阪・神戸に設置されているのだそうです。

 この建物は1926年(大正15年)に建設された後、1952年(昭和27年)には、西警察署と改称されますが、警察署の役割を終えた1984年(昭和59年)には解体され、2006(平成18)年に復元新築となります。

 

 建物を見てみます。角地に建ち、隅切部分にある玄関はアールで仕上げられ、さらに丸柱4本を有するなど、柔らかい空間造りを演出しています。

 なお、復元前には、旧目貫商店(函館市編Ⅱ⑤)でも紹介させていただいた「鎮ブロック構造」でしたが、現在は鉄筋コンクリート造になっています。

 現在は北海道の警察庁舎としては最古のものとして保存されると共に、水産・海洋関連事業の研究施設として活用されています。

 

竣工 - 1926年(大正15年)⇒2007年(平成19年)建物を解体・復元

構造・規模 -  鉄筋コンクリートブロック造2階建 (鎮ブロック) -  竣工時

所在地 - 函館市大町13-1

設計者 - 埴原欽次郎

受賞歴・指定等 - 市景観形成指定建築物

その他 - 旧函館水上警察署

函館市 編 (Ⅴ) ③

函館市文学館 ─ 旧第一銀行函館支店

 この建物は、第一銀行函館支店として、1921年(大正10年)に創建されましたが、さらに、平成5年4月に補強改修などを行なった後、函館市文学館として生まれ変わったものです。

 全体を見ますと、中央に出入り口を設け、左右対称となっています。

 外壁は花崗岩の白っぽい色とタイルの茶色が調和し、石の装飾も美しいものがあります。

 創建時の設計と施工は清水組で、構造は骨組みを鉄筋コンクリート、壁はれんが積みです。

 これは鉄筋コンクリートが導入された初期の技術で、後の鉄筋コンクリート造では壁も鉄筋コンクリートに変わっていくことになります。

 

 中に入ってみますと、石川啄木をはじめとする函館ゆかりの作家たちの自筆資料などがあり、函館の魅力の一面にふれることができます。

 なお、設計者の西村好時は、大正半ばから、昭和の初めにかけて、第一銀行本店や、大阪支店をはじめ、数多くの銀行建築を手掛けた人物です。

 

竣工 - 1921年(大正10年) 

構造・規模 - 鉄筋コンクリート造、一部れんが造2階建

所在地 - 函館市末広町22−5

設計者 - 西村好時・八木憲一

施工者 - 清水組

受賞歴・指定等 - 市景観形成指定建築物

その他 - 旧第一銀行函館支店

函館市 編 (Ⅴ) ④

日本基督教団函館教会─旧日本メソジスト函館教会

 当教会の創立は、アメリカ領事を兼任していた宣教師のメリマン・コルバート・ハリス氏が着任した明治7年とされています。

 また、ハリス夫人は女学校(現在の遺愛女子中学・高等学校)の開設を進言した人物として知られています。

 現在地に最初の会堂が建設されたのは明治19年のことですが明治40年に消失、42年には新会堂が再建されたものの、それも大正10年の大火で消失してしまいました。

 この建物は焼けない教会を目指して作られたものです。

 尖塔アーチの窓や多葉飾り、フィニアル風の装飾をつけた玄関など、ゴチックを意識したデザインは北海道帝国大学営繕課:萩原惇正の得意とするディティールでした。

 内部には入っていませんが、ヴォールト天井やステンドグラスの円窓で飾られているといいます。

 

竣工 - 1931年(昭和6年)

構造・規模 - 鉄筋コンクリート造2階建 622㎡

所在地 - 函館市元町31-19

施工者 - 伊藤組

設計者 - 萩原惇正

受賞歴・指定等 - 市景観形成指定建築物

その他 - 旧日本メソジスト函館教会

函館市 編 (Ⅴ) ⑤

遺愛学院(旧遺愛女学校)旧宣教師館(ホワイトハウス)

 遺愛学院は、1882年(明治15年)に元町の高台(現在の遺愛幼稚園の場所)に開校された関東以北で最初の女学校です。

 1907年(明治40年)8月25日、東川町からの出火により、函館区西部の1万2千戸余りが1夜

にして消失する大火がありました。

 当時、元町にあった旧宣教師館も類焼してしまいますが、すぐに建築復興となり、翌年、現在の湯川通りに移転・建築されます。

 敷地奥にあるこの旧宣教師館は、アメリカから来函した教師の住まいとして建てられたため、アメリカ住宅に範を求めています。設計は、立教大学の初代校長でもあったアメリカ人建築家J.M.ガーディナーです。

 

 さて、詳しく建物を見ることにします。

 焼過煉瓦の基礎に純白の外壁は柱形付の下見板張で、胴蛇腹と引違いの連窓で水平線を強調しています。屋根は黒い瓦屋根でしたが、1929年頃,鉄板に葺替えられました。

 ドーマウインド(屋根窓)と東南部の八角形の尖塔が特徴的で、白の外観からホワイトハウスと呼ばれています。

 なお、この建物は洋風建築としての価値が高く、2001年に国の重要文化財に指定されています。

 

竣工 : 1908年(明治41年)

構造・規模 : 木造2階建、地下1階、鉄板葺、288.70㎡

所在地 : 函館市杉並町23-11

設計:ガーディナー

受賞歴・指定等 : 国指定重要文化財

函館市 編 (Ⅴ) ➅

旧安田銀行函館支店

 安田銀行の営繕係は大正期から昭和10年代にかけて、全国各地に同じような支店を設計しています。その1つがこの函館支店で、1932年(昭和7年)に大林組の施工で完成しました。

 外観は 厚い壁で囲われており、中央に円形の付け柱を4本、その間に縦長の窓を開け、さらに両隅の壁にも小さな縦長窓を設けています。

 いかにも銀行らしい古典様式の重厚な姿をしています。

 その2年前、1930年(昭和5年)には清水建設の施工で小樽支店が完成していますが、外観や平面、梁の装飾が良く似ています。(小樽市編は、後日じっくりと紹介するつもりです)

 

 さらに、このHPでは帯広市編④で旧安田銀行帯広支店(1933年)を紹介していますが、こちらは函館支店や小樽支店とは若干、違った姿をしています。

 昭和43年には函館ドッグの造船技術者たちの関与によって、ホテルへの改修計画がなされました。当時、銀行をホテルとして再利用する転用保存は先進的な試みであったと言います。

 

竣工 :1932年(昭和7年)

構造・規模 : RC造2階建塔屋付き 622㎡

所在地 : 函館市末広町23-9

設計:安田銀行営繕係

施工:大林組

受賞歴・指定等 : 函館市景観形成指定建造物

函館市 編 (Ⅴ) ⑦

旧函館市公会堂

 この旧函館区公会堂は1907年(明治40年)の大火で焼失した町会所に代わる施設として計画されたものですが、総工費5万8千円余りの内、5万円は豪商、相馬哲平の寄付によるということですから、大半を一個人が負担したことになります。

 1909年(明治42年)5月に起工し、1910年(明治43年)9月に竣工したコロニアルスタイル【※】の西洋館です。

 この建物は基坂(もといざか)の正面高台にあざやかな色彩で建っています。

 まずは坂のことを少し述べてみます。

 函館山の麓に広がる旧市街地には多くの坂道があります。たびたびの大火への対応策として都市計画上、広い道路が必要となったものです。

 余談ですが、坂道には街路樹が欠かせませんが、火事がおきても燃えにくいナナカマドが植えられています。

 さて、この基坂(もといざか)沿いには、かつての北海道庁函館支庁庁舎やイギリス領事館もあって、歴史を感じさせる坂道になっています。

 坂道に欠かせないのが、アイストップですが、この旧函館区公会堂は、みごとなアイストップになっています。

 その色は外壁が、白色顔料に松煙を混入したというブルーグレー、開口部廻り・隅柱・ペディメントは、黄色い黄鉛を顔料としたというイエローとなっていますが、これは、1980年(昭和57年)の改修工事において、着工当時に復元されたものです。

 それまで、この建物はピンクが塗られており、市民に親しまれていました。

 改修調査では、塗装を紙やすりでこすりだして、元の色をさぐる「こすり出し」と呼ばれる作業が行なわれ、元の色が確認されることとなったのです。

 これをきっかけにして、市民グループが「こすり出し」で民家の元の色を調べて塗りなおす、全国でも珍しい取組が行なわれましたが、このことから、函館のまちの色が大きく変わったといわれています。

 建物を見てみます。

 本館と付属棟からなり、本館は木造2階建の左右対称形で、2階にはバルコニーが3つ配されており、屋根には、北海道の洋館に良く見られる独特の屋根窓が施されています。さらに、ポーチの袖妻には唐草模様を配し、玄関や回廊を支えるコリント式の円柱の柱頭に洋風の装飾が配されていますが、これらは様式に忠実とは言い難く、独創的だとのことですが、私には見分けができません。 また、土台には大火の経験から、火に強いれんが造りとなっています。

 内部を見ますと、一転して、重厚なルネサンス風になっています。2階には、1911年(明治44年)、後の大正天皇が行啓した際に、行在所として使われた貴賓室があります。

 応接室と共に、壁・天井の壁紙はイギリス製、カーテンは西陣織、アカンサスをデザインモチーフとしているシャンデリアは主としてフランス製だそうです。

 なお、1974年(昭和49年)には国の重要文化財に指定されました。

【※】コロニアルスタイル

建築・工芸様式の一つで、17~18世紀のイギリス・スペイン・オランダの植民地に見られ、特に植民地時代のアメリカで発達した。建物は正面にポーチがつき、大きな窓やベランダがある。アメリカなどではおもに木造で、板を横に張った壁が特徴的であり、このスタイルが踏襲されている。

 

竣工:1910年(明治43年) 

構造・規模:本館:木造2階建 1761.308㎡ 付属棟:木造平屋建 138.815㎡ 

延床面積 1900.123㎡ 

所在地:函館市元町11番13号

設計者:小西朝次郎

監督:渋谷源吉

施工者:村木甚三郎

受賞歴・指定等:国重要文化財 伝統的建造物

函館市 編 (Ⅴ) ⑧

函館聖ヨハネ教会

 この建物は、明治7年(1874)にイギリス人宣教師:デニングが函館を訪れ、宣教活動をしたことに始まる英国プロテスタント教会です。

 最初の教会は明治11年(1878)に基坂の下に建造されましたが、度重なる大火により移転を余儀なくされ、現在の聖堂は1979(昭和54)年11月に完成しています。

 四面の白壁には十字架をあしらい、空から見ると茶色の屋根が十字架の形に見えるように設計された美しい教会です。とても良いデザインですよね。

 内観も鑑賞しましたが、残念ながら写真はありません。記憶が定かではありませんが、撮影は不可だったのかもしれません。

※この建物については情報が不十分ですので、わかり次第、追記します。

 

竣工:1979年(昭和54年)

構造・規模: 

所在地: 函館市元町3-23

函館市 編 (Ⅴ) ⑨

旧本久商店倉庫

 この建物は酒屋「本久商店」の酒蔵として、大正10年の大火後に建てられました。

 特徴は何と言っても青色の外装、さらに窓の洋風アーチや外壁に大きく書かれた「本久」という屋号の文字です。

 

 過去に多くの大火被害を被ってきた函館市は当時、鉄筋コンクリート造建物を奨励し、助成金を支給するなどの優遇策をとっていたそうです。

 しかし、この建物はというと、冨岡製糸工場と同じ木骨煉瓦造ですので、鉄筋コンクリート造程の耐火性能はありません。

 このような建物は老朽化などから存続が困難になっていきますが、一方で存在価値が高くなるということでしょう。

 かつての商業活動の様子を伝える貴重な建物です。

 現在同様に末永く、活用保存してほしいですね。

 

竣工:1921年(大正10年)以降

構造・規模:木骨煉瓦造り2階建て

所在地:函館市末広町16ー13

設計:不詳

施工:不詳