建築を旅してplus
根室市編 ①
碓氷勝三郎商店
碓氷勝三郎商店は日本最東端の蔵元として知られています。創業は明治20年(1887)ですから、根室の酒造りの開始時期とほぼ一致します。
代表的な醸造酒は自然に恵まれた環境に加え、伝統の技術から生み出された「北の勝(きたのかつ)」です。その他の銘柄についても製造量が限られており、地元以外では入手困難な酒の多いことでも有名です。
根室の酒造業は明治20年代には20を越えました。沿岸漁業の発展と共に、各酒場への仕込酒が増えたことによるものです。
根室は空襲に見舞われましたが、碓氷勝三郎商店は被災を逃れたため、大正時代の石造りや煉瓦造の建物が、創業時からほぼ変わらず残っています。
竣工:明治末期 1913年(大正2年)移設
構造・規模:れんが造2階建
所在地:根室市常盤町1丁目6番地
根室市編 ②
明治公園サイロ
明治公園は元を正せば、1875年(明治8年)に造営された国営牧場(開拓使根室牧畜場)の跡地を利用した市民公園で、北海道で2番目に古い公園となっています(最古の公園は函館公園)。
公園内には1932年(昭和7年)と1936年(11年)に建てられた3基の美しい煉瓦造サイロが並んでいます。
このような公園は他にはないでしょうね。
3基のサイロ詳細は以下の通りです。
第一サイロ
建造年:1936年(昭和11年)
サイズ:直径5.9m、高さ15m
第二サイロ
建造年:1932年(昭和7年)
サイズ:直径4.7m、高さ12m
第三サイロ
建造年:1936年(昭和11年)
サイズ:直径5.9m、高さ14m
かつては3基のサイロ間に牧舎が建っていたと言います。
さて、建物を観察してみましょう。
サイロに使う煉瓦は円弧に合せて扇形に成形するのが一般的ですが、通常の長方形の煉瓦が使われ、小端立てに積まれています。そのため、壁面に近づいて見ると、波だって見えます。
※小端立てとは煉瓦の底面と小口面を見せるように交互に積んだ中空壁のことで、保温性能が期待できます。
竣工:1932年(昭和7年)、1936年(昭和11年)
構造・規模:煉瓦造
所在地:根室市牧の内81
受賞歴・指定等:登録文化財・近代化産業遺産
根室市編 ③
和田屯田記念館
この和田屯田兵村の被服庫は、和田屯田兵が入値する前年の、明治18年頃に造られたと考えられる諸施設の1つで、被服庫としては現存する最後の一棟です。
なお、和田屯田兵村は、明治19年(1886)6月東和田に220戸、西和田に明治21年5月120戸と明治22年の100戸を合わせて220戸が入地しています。
この被服庫は、最初は和田屯田本部(現、東和田811番地)にありましたが、本部の北見移転後、和田小学校の屋内運動場になり、さらに昭和43年には現位置に移築され、文化財として保存されると同時に和田屯田記念館として利用されています。
この建物の特徴は何と言っても、小屋組のバルーンフレーム工法です。
バルーンフレーム工法とは、アメリカ西部開拓が生んだ独自の構造形式で、現在のツーバイフォー工法の前身となったものです。
この様式を札幌時計台が採用したことで有名です。
なお、現在のツーバイフォー工法では、このバルーンフレーム工法は、ほとんど採用されておらず、プラットフォーム工法により施工されています。
竣工:1885年頃(明治18年頃)
構造・規模:木造平屋(小屋組にバルーンフレーム工法)
所在地:根室市西和田568-2
旧名称:和田屯田兵村大隊本部被服庫
受賞歴・指定等:北海道指定文化財(有形文化財)
被服庫としては唯一の存在です。
根室市編 ④
根室市歴史と自然の資料館
この建物は青森県下北半島の大湊に本拠を持つ旧日本海軍の通信施設として、1942年(昭和17年)にこの地に建設されたものの、まもなく終戦となり、その役割を終えます。
その後、間仕切りなどを改修して、花咲港小学校の校舎として使われていました。
1989年(平成元年)から「根室市郷土資料保存センター」として、貴重な郷土資料を保存・活用し始め、2004年(平成16年)には、博物館法に基づく博物館相当施設として指定を受け、現在の名称が使われるようになりました。
北海道指定有形文化財となった縄文時代後期の「土偶」や、天然記念物であるシマフクロウの標本などをはじめ、貴重な資料を多数所蔵・展示しています。
建物を見ますと、旧海軍の施設らしく、重厚な赤い煉瓦造の壁で、開口部の額縁は白色の花崗岩、屋根は緑色のコントラストが美しい。
竣工:1942年(昭和17年)
構造・規模:煉瓦造平屋
所在地:根室市花咲港209
旧名称:大湊海軍通信隊根室分遣所・花咲港小学校
根室市編 ⑤
照井商店
この照井商店は、明治末期に荒物商を営んでいた山県勇三郎が、根室市本町2丁目に建てた商店建築でした。
大正10年の鉄道敷設を商機と捉え、駅前に役半分を移転し、照井商店と名称を変えています。
現在も地酒「北の勝」各種、雑貨・小物各種を販売しています。
当初は外壁に下見板張り、軒蛇腹、2階窓の額縁と言った和洋折衷を見ることができましたが、現在は改修されています。
しかし、現在も和洋折衷の雰囲気を感じることができます。
竣工:1921年(大正10年)移設
構造・規模:木造2階建
所在地:光和町1丁目1番地
旧名称:山県勇三郎商店