建築を旅してplus
江別市 編 ①
旧野幌屯田兵第2中隊本部・被服庫
野幌屯田兵村には、1885年(明治18年)と1886年の二次にわたって、225戸が入地しています。
この旧野幌屯田兵第2中隊本部庁舎は兵事事務・農業指導・学事・戸籍・土木などを所管する施設でしたが、現在、この建物と新琴似のものだけが遺存しているという貴重な官庁建築で、北海道指定文化財にもなっています。
旧琴似屯田兵屋と比較しますと、左右が逆なだけのつくりになっているんだそうです。
1913年(大正2年)に現位置から90m南東にある江別第二小学校横に移築され、農業振興会事務所に使用されていました。
この移築の際に、正面が南東面から、南西面へと90度回転されてしまったとのことですが、何故か?真相は薮の中のようです。
その後、歴史的建造物として保存を図る目的から、1993年(平成5年)に解体、1994年(平成6年)に本格的な修復工事が行なわれ、創建当時の姿に復元され、現在は屯田資料館として公開されています。
1階は中隊長室、軍医室、下士官集会室、下士官事務室、2階は格納庫となっており、さらに、裏手には木造の被服庫が保存されています。
屯田資料館では、建築模型やジオラマなどから開拓の様子がうかがえるように展示され、一般開放されています。
構造はバルーンフレーム工法、高い天井高に上げ下げ窓といった洋風建築、柱の角には面取りを行なうなどの配慮も見られます。
職員の方から、ずいぶんと詳しく説明していただきました。
ここまで熱心に教えていただける施設は珍しいです。勉強になりました。
竣工 - 1884年(明治17年)頃
構造・規模 - 木造2階建 260.03㎡
所在地 - 江別市野幌代々木町38-11
設計者:屯田兵事務局
受賞歴・指定等 - 北海道指定文化財
江別市 編 ②
旧石田邸
この建物は、北海煉瓦合資会社の社員で土木技師であった石田惣喜知が、自ら設計・施工したとあります。
また、給与代わりに受け取った規格外の煉瓦製品を用いて築いたとの情報もあります。
煉瓦の壁と緑色のマンサード屋根と半円状に張り出した窓が特徴的な3階建ての洋館です。
平成4年に江別市が寄贈を受けましたが、40メートルほど曳き屋移築をしました。その際に地階を造り、鉄筋コンクリートで補強しています。
現在はガラス工芸家の工房として保存活用されており、煉瓦の町を演出しています。
竣工 - 1945年(昭和20年)
構造・規模 - 煉瓦造、鉄筋コンクリート造、木造 3階建地下1階 107坪(354㎡)
所在地 - 江別市野幌代々木町53
江別市 編 ③
旧肥田煉瓦工場
愛知県常滑市生まれの肥田房二は1923年(大正12年)に来道します。
土管の手作り職人でしたが、1947年(昭和22年)には肥田製陶(株)を設立し、この建物の中で、土管やタイル、側溝の製造をしていました。 工場が平成10年に自主廃業した後、市が活用保存の目的で土地ごと購入しました。
JR野幌駅の南口を出て、東側に向って線路沿いに5分ほど歩きますと、この建物が左手に見えてきます。
2014年に初めて、この建物を訪れた時には、建物の老朽化がかなり進んでいるのが一瞥してわかりましたが、2016年3月には修復もなされた上で、新たな商業施設としてオープンしています。施設が息を吹き返したという感じですね。
現在、施設の一部が姉妹都市アメリカ、オレゴン州グレシャム市の物産などを紹介するアンテナ・ショップ(江別アンテナショップGETs)になっており、人材・物産の交流拠点として活用されています。
グレシャム市にはエッジフィールドという再活用された煉瓦造の歴史的建造物がありますが、江別では、産業遺産の再活用の在り方を学んでいるといいます。
HPに掲載した写真は2023年6月時点のものです。
竣工 - 1951年(昭和26年)
構造・規模 - 煉瓦造、鉄筋コンクリート造2階建
所在地 - 江別市東野幌3丁目1~3
江別市 編 ④
野幌公会堂
この建物は1938年(昭和13年)、屯田兵の歴史が刻まれた町にふさわしい公民館を建てようと建設されたものです。
当時は「野幌公民館」と呼ばれていましたが、現在は「野幌公会堂」として、地域住民の自治活動や相互交流の拠点となっているそうです。
建物を見てみましょう。 全体は木造2階建ての西洋館といった佇まいで、屋根は寄棟の大屋根に玄関上部が三角破風になっており、落雪や雨を避ける配慮がされています。
また、外壁は、北見ハッカ記念館に同じく、ドイツ下見板張りが採用されています。
内部には、古い格天井が見られるそうですが、拝見する機会を逸してしまいました。次の楽しみに取っておきたいと思います。
竣工:1938年(昭和13年)
構造・規模:木造2階建
所在地:江別市野幌代々木町54
江別市 編 ⑤
旧江別屯田兵第三大隊本部火薬庫
明治11年(1878年)、江別に屯田兵が入所します。
当初、この部隊は琴似に本拠地を置く第一大隊に所属しますが、明治20年に第三部隊として独立します。
この第三部隊は旧江別小学校(江別市荻ヶ岡)のあった場所に置かれていました。
その後、移築され、他施設として使われていたものの、昭和9年の失火により消失、現在はこの火薬庫だけが残されています。
江別の歴史を現在に伝える貴重な建物なんですね。
この建物は明治19年頃竣工の付属施設で、建築面積15㎡の煉瓦造平屋建です。
類似施設として輪西(室蘭)屯田兵村の木造平屋火薬庫(室蘭市編③参照)があります。
煉瓦の刻印Sから推するに、白石の鈴木煉瓦製ではないかと言われていますが・・。
竣工:1886年(明治19年)頃
構造・規模:煉瓦造平屋建
所在地:江別市荻ヶ岡17
設計者:北海道事業管理局、または北海道庁
施工者:不詳
受賞歴・指定等:江別市指定文化財第二号
江別市 編 ➅
酪農学園大学旧精農寮
かつての酪農学園大学は煉瓦造の学舎を実習として、教員と学生が共に建てたと言います。
この建物は学生寮として建設されました。
全体を見渡しますと、隣接した煉瓦造のサイロ棟と対になっていますし、腰壁などに焼き過ぎ煉瓦が使われていることがわかります。
屋根は当初、藁葺きであったといますが、藁葺き屋根と煉瓦壁とのデザインは、きっとユニークでしょうね。
竣工:1945年(昭和20年)
構造・規模:煉瓦造2階建
所在地:江別市文京台緑町569番地
受賞歴・指定等:江別市都市景観賞
江別市 編 ⑦
北海道材木育種場旧庁舎
北海道林木育種場旧庁舎は大正、昭和初期に流行したハーフティンバー様式を基調とした外観を持ち、文京台地区の丘の上に建つ、江別のランドマークとなっているものです。
館内は、当初林業試験場の建物であったことから、木製ドア、腰壁板、木製窓枠など木材が多く使われ、豊かな空間を創り上げています。
昭和2年に現在の場所に建てられ、平成8年まで林木育種センター北海道育種場庁舎として使用されていましたが、平成8年(1996年)に北海道育種場の移転により、庁舎としての利用を終えます。
平成13年(2001年)には、歴史的価値が高い建物として、国の登録有形文化財に登録され、平成14年(2002年)に、江別市が長年市民に親しまれた後世に残すべき歴史的建築物として、国から購入しました。
その後、民間のアイデアと力により魅力ある施設として再生するため、利活用事業者を公募することとしました。
令和2年(2020年)の公募では4事業者が応募し、選定委員会の選考を経て株式会社珈房サッポロ珈琲館が保存・活用事業者に決まります。令和3年(2021年)に外観や内装の工事を行い、令和4年(2022年)4月に同社の本社事務所が移転、5月に直営のカフェとしてオープンしています。
所在地 北海道江別市文京台緑町561番地の2
竣工:昭和2年11月
構造・規模:1階:煉瓦組積造 / 2階・小屋裏:木造
面積:1階:743.64㎡ / 2階:649.12㎡ / 小屋裏:139.12㎡ / 合 計:1,531.88㎡
受賞歴・指定等:文化庁・登録有形文化財
江別市 編 ⑧
旧町村農場第一牛舎
北海道酪農の先駆者:町村敬貴氏は農場を石狩郡(樽川村)から現在地へ移転、建物を資料館として町村氏の資料や当時の農機具など酪農に関する資料が展示されていました。
建物は昭和初期の「キング式牛舎=マンサード屋根の牛舎のこと」です。
私的には、町村家と言えば、町村金吾は北海道知事、その息子の町村信孝については大政治家を連想しますが、そのルーツはここにあったんですね。
なお、これらの建物は平成19年11月、経済産業省より「地域活性化に役立つ近代化産業遺産」に認定されています。
2024年6月6日にはリニューアルオープンしました。キッズスペースは賑わっていますよ。
所在地 北海道江別市いずみ野25番地の1
竣工:昭和4年(1929)
構造・規模:木造
設計者:指田 近之助
施工者:指田 近之助
江別市 編 ⑨
旧町村農場居宅
2024年6月6日にはリニューアルオープンしました。カフェやお土産スペースがあります。
所在地 北海道江別市いずみ野25番地の1
竣工:昭和4年(1929頃)
構造・規模:木造2階建
設計者:指田 近之助
施工者:指田 近之助
江別市 編 ⑩
旧町村農場製酪室
施工者:指田 近之助
所在地 北海道江別市いずみ野25番地の1
竣工:昭和4年(1929頃)
構造・規模:煉瓦造平屋建
設計者:指田 近之助