建築を旅してplus
浦臼町 編 ①
尾花商店店舗・石蔵
札幌方面から浦臼町の国道沿いを走ると、浦臼局界隈に特徴のある建築群が見えてきます。
その中でも一際、この町の重厚なイメージを演出しているのが、この建物、尾花商店店舗・石蔵といった石造建築でしょう。
さらに、この近隣にも別の石造建築が現存していますが、何か理由があるのでしょうか。
その昔、この尾花商店店舗は木造であったとのことですが、大正12年の大火により、36戸の建物が焼き尽くされたとあります。
そのときに、この石蔵だけが焼け残ったことから、石造建物を建てるようになったといいます。
尾花商店の店舗も札幌軟石による石造としたそうです。もし、浦臼にこの建物が無かったら、この町の印象は大きく違ってしまうんでしょうね。
店舗竣工 - 昭和初期頃 構造・規模 - 石造2階建
所在地 - 浦臼町第6 石蔵竣工 - 1923年(大正12年)
構造・規模 - 石造2階建
所在地 - 浦臼町第6
浦臼町 編 ②
浦臼聖園教会
1893年(明治26年)、土佐出身の自由党代議士、武市安哉(高知教会長老)に率いられた若者26人は、キリスト教に基づく理想のまちづくりを夢見て、高知からこの地に入植しました。
1897年には教会を建設し、礼拝出席者数も100人以上に達したといいます。
その後、たびたびの大洪水に見舞われるなどから、1903年、現在地に会堂を移転しますが、独立教会の資格を失ってしまいました。
しかし、このような苦難を乗り越え、1923年には独立自給の教会となり、今日に至っているといいます。
さて、建物を見てみましょう。 さまざまな視点から、この建物を見てみますと、今はなき旧日本基督教会北1条教会(田上義也)を参考にしていたことがわかります。
シンメトリックなファサードはバランス美ですね。
1993年に大改修を行なっているといますが、その後も補修を重ね、大事に使われていることがわかります。
竣工- 1953年(昭和34年)
構造・規模 - 木造平屋建
所在地 –樺戸郡浦臼町字浦臼内183─37
設計者- 市村 敏英
浦臼町 編 ③
コーヒーと食事 館
札幌方面から浦臼町の国道沿いを走ると、浦臼局界隈に特徴のある建築群が見えてきますが、その中でも、一際目立つ色合いの外壁にマンサード屋根を施した建物がこれ、コーヒーと食事「館」という名称の建物です。
隣に浦臼聖園教会、正面には尾花商店店舗・石蔵といった落ち着いた配色の空間群にあって、アクセントカラーといった存在になっています。
1941年(昭和16年)から局長となる尾花興作により、昭和10年頃に浦臼郵便局として建てられたものですが、昭和56年に喫茶店として再利用されることになった際に、現在のような色合いにしたとのことです。
私が訪れた時は、残念ながら内部を見ることはできませんでした。
竣工- 1935年(昭和10年)頃
構造・規模 - 木造2階建
所在地 –浦臼町第5その他- 旧浦臼郵便局
浦臼町 編 ④
友成家住宅
徳島県那賀郡では、北海道の開拓に関心を持つ有志が集まり、「那賀郡北海道植民同盟会」が組織されました。
那賀郡羽ノ浦村で助役を務め、植民同盟会の委員をしていた友成士寿太郎という人物は、30戸の農家を引き連れ、この地に入植して開拓を始めます。
1900年(明治33年)の友成牧場は200戸、耕作面積771haからなり、内、470haは109戸の移住者に付与され、移住者の平均耕作面積は4haに達するまでの成功を治めたといいます。
士寿太郎は幸田 快三郎という四国の大工を呼び寄せ、1901年(明治34年)に、この住宅を着工します。基礎工事や木材の切り込みの施工に2年、建て上げに1年をかけ、1903年(明治36年)にようやく竣工しました。
1974年(昭和49年)に基礎を軟石からコンクリートに変えた以外は、ほぼ110年以上前の姿をとどめている歴史的建造物なのです。
竣工- 1903年(明治36年)
構造・規模 - 木造平屋建
所在地 –浦臼町黄臼内186
大工- 幸田 快三郎