建築を旅してplus

深川市 編 ①

旧鷲田農場事務所

 福井県人、鷲田軍蔵は明治24年に音江法華(※1)へと入植し、その後、農場経営にあたることとなります。 

 明治43年から3年間かけて華族農場の事務所兼住宅を建設したのがこの建物です。 

 大正時代になると音江村に売却、役場や公民館として利用されていましたが、現在は遺物収蔵庫として、古い生活用具や農具などが展示されています。

 なお、鷲田軍蔵は農場経営の傍ら、音江郵便局の初代局長、並びに村会議員を務めた人物です。  

 

 さて、建物に目を転じましょう。外観は洋風建築ですが、内部は和室を備えた和洋折衷となっています。 

 寄棟屋根の木造2階建一部平屋、基礎は石造、外壁にはドイツ下見板張り、上げ下げ窓にファンライト(半円欄間)、胴蛇腹、持ち送り(ブランケット)、軒蛇腹といったぐあいに洋風意匠の要素が散りばめられています。

 (※1) 音江法華駅逓所跡が現在の深川市音江町1丁目12に残されています。

 明治22年6月に駅逓が完成し、上川街道の中継所として人馬を備え、宿泊と運送の便をはかる重要な役割を果たしたといます。

 このような背景の下で鷲田軍蔵が入植して来たわけですね。北海道開拓期のロマンを感じます。

 

建築:1912年(明治45年)頃

構造・規模 :木造2階建一部平屋

所在地:深川市音江町2丁目11番38号

施工者:留萌の大工

指定:深川市指定文化財

深川市 編 ②

旧北海道拓殖銀行深川支店 ─ 地域交流施設「プラザ深川」

 この建物は、中心街の交差点角地に建っていますが、様式建築にありがちな威圧感はありません。建設された時代はアール・デコやモダニズム建築が台頭していましたから、様式建築も必然的に控えめにならざるを得なかった・・ということでしょうか。  

 さらに、観察してみましょう。 角地の隅切り部分が控えめな玄関になっており、外壁を見ると2階まで延びたジャイアントオーダーの半円付け柱で、縦溝が付いています。

 さらに、柱頭には独特の紋様が施されるコリント式となっています。

 軒下を見上げますと卵形の連続紋様、その下には楕円形飾りを見ることができます。

 設計者の山本萬太郎は大正12年に竣工した旧北海道拓殖銀行小樽支店(現:似鳥美術館-小樽芸術村)の工事監督でした。

 現在、この施設は、深川市地域交流施設「プラザ深川」と名づけられ、休憩所や交流・バス待合所などとして、市民の方々に利用されています。

 

建築:1937年(昭和12年)

構造・規模 :鉄筋コンクリート造2階建

所在地:深川市4条9番40号

設計者:山本萬太郎

施工者:本田組札幌支店

深川市 編 ③

深川屯田兵屋

 深川への屯田兵は約600戸が入地したといいます。

 この建物は明治29年に広島県から一巳(いっちゃん)地区に入地した、藤原嘉六氏が使用した兵屋を復元・移築したものです。

 オリジナルの屋根は柾葺きでしたが、鉄板平葺きになっています。

 建築基準法の移転に該当しないのではないかと思われますし、何よりも屋外での維持保全は困難ですからね。

 また、当時はハマダラカ(マラリア原虫を媒介する蚊)が夜間、多数室内に侵入するような粗末なつくりの住居であったといいます。

 

建築:1895年(明治28年)

構造・規模 :木造平屋建

所在地:深川市西町3番15号 深川市いきがい文化センター敷地内

指定等:深川市指定文化財

深川市 編 ④

ぬくもりの里「向陽館」

 設計者の石井喜助(1893-1977)は、秋田県立工業学校卒業後、炭鉱関連会社を経て、岩見沢で設計事務所を開業、さらに深川市に石井工務所を開設します。

 深川を中心に上川・宗谷地方に至る周辺都市の官庁施設等を設計してきた地元建築家です。

 

 この建物以外にも多度志(現深川市)旧役場庁舎や幌成郷土資料館(旧幌成小学校)が現存しているらしいとの情報がありますので、是非とも建築を旅してみたいものです。

 

 さて、この建物に話を戻します。

 ぬくもりの里「向陽館」は、90年の歴史を持ち閉校した向陽小学校を保存・活用した画家・高橋要のアート・ギャラリーです。外観を見ますと、ハーフティンバーや階段状になったブラケット装飾による意匠が特徴的です。

 個人的には、地元建築家:石井喜助の作品が保存・活用されているという意味合いを強く感じています。

 

旧名称 - 音江第二尋常高等小学校─深川市立向陽小学校

竣工- 1936年(昭和11年)頃

廃校年- 平成5年

構造・規模- 木造平屋 1,940㎡

所在地-–深川市音江町向陽82番地3

設計者- 石井喜助

施工者- 宇佐美常治郎