建築を旅してplus

網走市 編 ①

永専寺山門

 「これは面白い」 というのが、この建築を見た時の印象です。 

 上に添付した写真が今回取り上げる永専寺山門、その下の写真が網走刑務所正門(博物館網走監獄)ですが、何故か似ている。それには訳があるのです。 

 

 現在の網走刑務所赤レンガ門の完成後、もともと1912年(明治45年)に建設された旧網走監獄正門が永専寺に払い下げられたもので、1924年(大正13年)に山門として移設・再利用されました。 

 これは、当時の永専寺の住職が刑務所の教誨師や出獄者の更正に尽力したご縁によるとのことです。現在の煉瓦造の網走刑務所正門は旧正門(現:永専寺山門)をモチーフにしていたことが分ります。

 煉瓦造の正門が有名ですが、永専寺山門の方がオリジナルだったんですね。 

 なお、移設は解体せずに、囚人の手により網走川を渡し、網走橋の手前から曳家したと伝えられることから、大変な工事であったことが察せられます。 

 

 山門は高さ約6メートル、幅約15メートルの木造瓦屋根の武家屋敷のような門ですが、よく見ると中央の大アーチ上部には、構造力学とは関係のないキーストン的な紋様が付き、両端にはドーム屋根がつくシンメトリーデザインです。

 ドーム屋根部分は、かっての番所であり、上げ下げ窓が付いていたそうです。 さらにこの木造の門に赤煉瓦の塀がつながっています。

 また、写真の角度からは切妻屋根に見えるかもしれませんが、入母屋瓦葺き屋根になっています。和風と洋風が混交していますが、和風建築を基本としているので、擬洋風ともいいがたく、和洋折衷というにも、洋のボリュームが少なすぎる気がしますので、私個人としては、和洋のアッサンブラージュというのがしっくりとくるのですが・・。 

 

 1979年(昭和54年)には市の有形文化財に指定されています。 その歴史性や悩みぬいた末にできあがったであろうデザインの面白さとも相俟って、何回でも眺めてみたくなる建築です。 

 

竣工 - 1912年(明治45年)、1924年(大正13年) 移転

構造・規模 - 木造長屋門、入母屋造り瓦葺き

所在地 - 網走市南6条東2丁目

設計者 - 司法省

の他 - 旧網走監獄正門 

網走市 編 ②

博物館網走監獄庁舎

 かっての網走刑務所は、日本で一番、脱獄困難な刑務所だと言われ、明治の脱獄王「西川寅吉」や昭和の脱獄王「白鳥由栄」らが収監されました。(白鳥由栄は網走刑務所でも脱獄に成功している) また、映画『網走番外地』シリーズの舞台ともなっているなど、日本で一番有名な刑務所です。 

 もともとは犯罪傾向の進んだ長期刑の者などを収容する施設でしたが、現在は犯罪傾向の進んだ者(累犯)であって、執行刑期10年以下の受刑者を収容する施設となっています。  

 

 今回取り上げる、博物館網走監獄庁舎は、1912(明治45)年建築で、明治時代から網走刑務所で実際に管理棟として使用されていた建物を1988年(昭和63)年に網走刑務所から、天都山中腹にある博物館網走監獄に移築したものです。 

 なお、網走監獄は1909年(明治42年)に火災で焼失しました。

 事務所(庁舎)は1912年(明治45年)3月に再建されています。1988(昭和63)年には現在の博物館網走監獄に移築保存されていますが、ミュージアムショップが営業しており、網走刑務所での作業製品などを購入することができます。  建物を見てみます。 

 一見すると洋風建築ですが、正面玄関には入母屋屋根といった日本家屋の建築様式を取り込んだ、擬洋風建築、和洋折衷建築となっています。  

 内部は刑務所長の執務室である典獄室、面接室、会議室、総務課、戒護課、用度課、作業課等の部屋があります。

 

竣工 - 1912年(明治45年) 、1988年(昭和63)年移築

構造・規模 - 木造平屋建

所在地 - 網走市北海道網走市字呼人1                

設計者 - 司法省 

網走市 編 ③

網走市立郷土博物館

 近代建築の三大巨匠の一人、フランク・ロイド・ライトの弟子で、英語の通訳、さらに、バイオリン演奏家にして、札幌新交響楽団の創立者でもあったという多岐多才、田上義也(1899─1991)は北海道を代表する建築家です。 

 関東大震災を機にライトのもとを離れて、北海道へと向う夜行列車の中で、小樽聖公会の管理長老ジョン・バチェラーとの運命的な出会いがありました。 

 このことをきっかけに、バチェラー学園やインテリ層の邸宅、ユースホステル建築、そして、この網走市立郷土博物館など、北海道で最初の建築家として、設計の場を広げていったのです。

 田上義也作品にも多く見られるライトの作風は基本的にはモダニズムの流れをくみ、幾何学的装飾の特徴から、アール・デコに類似していますが、ライトの偉大さからか、アール・デコ建築に組み込まれることは少なく、むしろ、ライト式などといわれています。 

 なお、ライトの弟子としては、札幌の聖ミカエル教会を設計したアントニン・レーモンドや遠藤新、土浦亀城らも有名です。

 

 さて、本題の「網走市立郷土博物館」です。 

 この建物は、オホーツク海を見渡し、アイヌのチャシ(砦)で知られる桂ヶ岡公園の丘陵地の上に建つもので、1936年(昭和11年)に「北見郷土舘」として開舘した北海道で最も古い博物館の一つです。 

 当初は鉄筋コンクリート造の予定でしたが、資金の都合で、木造2階建てとなりました。

 十字型平面、水平性の強調、幾何学模様のステンドガラスなど多くのライト式特徴が見て取れます。 

 全体の外観デザインとしては、階段室上部にヴォールト屋根、中央塔にはドーム屋根が施されるなど、田上作品としては珍しい試みとなっています。 

 2階中央部の螺旋階段を昇ると、展望ドームがあり、市内を一望できるそうですが、残念ながら、調査時には閉鎖されていました。是非とも、観察したかったところですが・・。 

 また、正面の丸柱や大地から深く根を下ろしているかのような太い柱型からは、力強さが感じられ、木造とは思えない雰囲気を演出しています。 

 ずいぶんと昔に、一度、訪れていますが、今も変わらぬ美しい姿で桂ヶ岡公園内に建っています。このような建物は時代を重ねるごと、その価値観を高めていきますので、末永く保存活用していただきたいものです。 

 

竣工 - 1936年(昭和11年) 

構造・規模 - 木造

所在地 - 網走市桂町1丁目1番3号桂ケ丘公園内

設計者 - 田上義也

施工者 - 宍戸栄左衛門

その他 - 旧北見郷土舘※田上義也の作品は他に、函館市編(Ⅰ)⑧旧佐田邸、道央編(Ⅰ)⑤支笏湖ユースホステル、札幌市編④旧小熊邸がありますので参考にしてください 

網走市 編 ④

博物館網走監獄教誨堂

 教誨堂(きょうかいどう)とは、教えや集会、慰問の場です。

 外観を見ますと、反りを持つ入母屋瓦葺き屋根、外壁は下見板張りに上げ下げ窓の丸い櫛形(セグメンタル)ペデイメントといった洋風意匠が印象的です。

 内観は板敷きの一室で、床を高めて舞台を設け、内部の壁は漆喰風仕上げ上下ガラス窓を並べて竪板張の腰壁を巡らしています。

 

 さらに、天井には丸形の中心飾りがあり、角型の換気口が付けられています。

 食堂は一室の土間で、天井は棹縁天井で大きな角形の菱形格子換気窓を2ケ所設けています。窓は欄間付引違窓で外部に木製竪格子が付いています。

 なお、小屋組はクイーンポストトラスです。

 

旧名称:網走分監屈斜路外役所事務所

竣工: 1886年(明治29年)、1981年(昭和56年)再現

構造・規模:木造平屋 404.87㎡

所在地:網走市字呼人1

設計者:

指定等:登録文化財

網走市 編 ⑤

博物館網走監獄二見ヶ岡農場旧事務所

 この建物は網走刑務所の農園作業施設、「屈斜路外役所」として設置されました。

 網走湖と能取湖の両方を見渡せる場所であったことから、後に「二見ケ岡刑務支所」として改名されています。

 広大な土地で農業を行い囚人労働による自給自足を目指したといいます。

 写真手前の白い建物が事務所棟ですが、場長や事務員が農業計経営に関する執務を行っていました。

 一見して、洋風建築に見えますが、窓を見ますと和風のプロポーションになっています。

 場内に作業風景が再現されていますので下の写真をご覧ください。

 

旧名称:網走分監屈斜路外役所事務所

竣工:1896年(明治29年)、1999年(平成11年)移築

構造・規模:木造平屋

所在地:網走市字呼人1

指定等:登録文化財