建築を旅してplus

美唄市編①

アルテピアッツァ美唄

 「アルテピアッツァ」とはイタリア語で「芸術広場」を意味しています。

 美唄市出身で、イタリアを拠点に活動している彫刻家:安田侃さんと美唄市が協力して1992年にオープンしたのが、この「アルテピアッツァ美唄」です。 

 

 美唄市はかつて三井美唄炭鉱と三菱美唄炭鉱を有する北海道有数の石炭の町として栄えましたが、炭鉱が消えると人々は去り、1981年(昭和56年)には併設する幼稚園を残して美唄市立栄小学校も閉校となってしまいました。

 しかし、再び人々の集う場所をつくろうと、この校舎や体育館・野外スペースがギャラリーなどとして再生され、安田侃の作品が設置された集いの空間になっています。

 なお、運営はNPO法人「アルテピアッツァびばい」が行っています。

 

竣工 - 1950年(昭和25年 

構造・規模 - 木造2階建

所在地 - 美唄市落合町栄町

その他:旧名称:美唄市立栄小学校

美唄市編②

旧桜井家住宅

 この建物は明治24年に屯田兵として入植し、後に町長も務めた桜井良三氏とその子息、省吾氏(子息:市長を務めた)の2代にわたる自邸でした。

 住宅の構成は北側から主家、四間取りの座敷、離れから成り、離れの小屋組は和室になっているものの洋風トラスが用いられています。

 現在、建物と土地の所有は市へと移管され、美唄市立公民館桜井邸分館(旧桜井家住宅)として、サークルの会合や研修会などに活用されています。

 

竣工 – 主屋1933年(昭和8年)、離れ1918年(大正7年)

構造・規模 - 主屋 木造2階建、離れ木造平屋建

所在地 - 美唄市大通り西1北2

受賞歴・指定歴-美唄市文化財

美唄市編③

美唄屯田兵屋

 美唄市には、屯田兵特科隊(騎兵隊・砲兵隊・工兵隊)が設置されています。

 明治24年から27年にかけて合計400戸の兵員と家族が入地し、国道または主要道路に一群の住宅が供給されました。

 住宅(兵屋)の形式は、陸軍省標準型と呼ばれる一般的な型で、母屋の造りは、切り妻造り、手割り柾葺きで、間口5間(9.05メートル)に奥行3間半(6.37メートル)の広さ17.5坪(57.75平方メートル)の大きさです。

 なお、主屋に厩舎を設けたことが特徴です。

 この美唄屯田兵屋は、明治26年(1893)愛知県から入植した長谷川金五郎氏が入居した美唄騎兵村93番(現癸巳町)の兵屋で、昭和44年(1969)に市に寄贈され、補足材料や工法に意を配りながら入植当時のものに復元したものです。

 現在、旧桜井家住宅敷地内に屯田騎兵隊火薬庫とともに設置されており、開拓の歴史を現在に伝える重要な文化財です。

 平成2年(1990年)に開基100年事業として、屯田兵関連施設を現在の位置に集約保存されました。

 

竣工 – 主屋1933年(昭和8年)、離れ1918年(大正7年)

構造・規模 - 主屋 木造2階建、離れ木造平屋建

所在地 - 美唄市大通り西1北2

受賞歴・指定歴-美唄市文化財

美唄市編④

美唄屯田騎兵隊火薬庫

 この火薬庫は小規模であるものの、屯田兵の関連施設として残された稀少な建物です。

建物の特徴は火気による危険を回避するために屋根に避雷針を立て、引き戸を2重にして背面窓に鉄格子を備えたものです。

 平成2年(1990年)に開基100年事業として、屯田兵関連施設を現在の位置に集約保存されました。

 

竣工 –明治20年代

構造・規模 -木造平屋建

所在地 - 美唄市大通り西1北2

旧所在地 – 美唄市空知神社境内

受賞歴・指定歴-美唄市文化財