建築を旅してplus

苫小牧市 編 ①

北海道大学苫小牧研究林森林記念館(旧標本貯蔵室)

 北海道大学苫小牧研究林(旧・地方演習林)は、1904年(明治37年)に北海道大学の前身である札幌農学校によって開設されました。 

 この森林記念館は、1935年に旧北大苫小牧地方演習林の動植物の標本貯蔵室として建設されたもので、さらに1963年にはホールが増築されています。

 建物を見てみます。まずは、外観ですが、黒色に塗られた下見板張、それに映える白色のバットレスと窓枠、正面の切妻屋根の背後にある駒形切妻屋根(ギャンブレル屋根=マンサードとは違う)、屋根窓などが特徴的です。 

 職員玄関上部には、植物の紋様が施されていますが、どのような意味合いかは不明だそうです。 

 内部には吹き抜けがあり、上下層を繋ぐ鉄骨の螺旋階段は昔のままの姿を留めています。 展示品としては、のこぎり、おの、馬そりなど昔の林業道具が数十点あり、開設以来収集された各種の樹種標本をはじめ、木材加工品、菌類標本、鳥獣類の剥製、アッシ機織関係や木皮船(ヤラチップ)等の資料が展示されていました。

 1988年(昭和63年)からは、森林記念館として再整備の手が加えられており、標本や大型実験器具が置かれる外、作業スペースとして利用されています。

 

竣工 - 1935年(昭和10年)

構造・規模 - 木造2階建

所在地 - 苫小牧市字高丘無番地

受賞歴・指定等 - 国指定登録有形文化財。

苫小牧市 編 ②

第一洋食店 ─ 民芸建築

 「民芸」という言葉がありますが、これは思想家:柳宗悦が民衆的工芸を意図してつくった造語であり、美の概念でもあります。

 それまで見過ごされてきた、職人の手仕事から生まれた日用品の中に美的価値を見出し、広く世に知らしめようと、1926年(大正15年)頃から、柳は陶芸家の濱田庄司や河井寛次郎らとともに「民芸運動」を展開することになります。

 なお、これらの運動はアーツ・アンド・クラフツ運動の影響もあるものとされています。

 「民芸」の定義については、書面に収まりきれませんので割愛しますが、民芸思想を空間に反映した代表格が、東京大学駒場キャンパスに隣接する「日本民藝館」で、基本設計を柳宗悦らが行なったとされています。

 柳は「工芸は常に家屋と結合されなければならない。その分離は近代の欠陥である。否、元来、建築は綜合的工芸でなければならない」とも「もともと什器は建築と伴はずば、その意味の半ばを失って了ふ」とも語っています。

 ここでは、柳宗悦たちがイメージした民芸らしい空間をまとった建築を「民芸建築」と呼ぶことにします。

 その特徴を文献や彼らが設計した建物から導きますと、以下のようになりましょうか。

・自然との調和を旨とする建築であること。

・野太く、黒い柱材や梁材が骨格を成す古民家のような和風でありながら、機能的には洋風の椅子式であるなど、洋風空間と和風空間が共存していること。

・柳宗悦が「最も日本的なる石」、「木に近い石」と捉えたという大谷石や煉瓦、漆喰壁といった自然素材を使用するもの。なお、大谷石はとても軟らかく、和の印象を与えてくれる材料としてフランク・ロイド・ライトも多用していました。

・建具や家具、日常雑器、日用品、インテリアなども一体となったデザインであること。等

 

 さて、この第一洋食店の初代店主である山下十治郎さんは横浜のグランドホテルで修業後、皇太子殿下(後の大正天皇)の道内ご巡幸の折に調理を担当した縁で、王子製紙苫小牧工場の王子倶楽部のシェフを務め大正8年には苫小牧で第一洋食店を営業しました。

 昭和32年に店を改装した際の設計者は、二大民芸建築家の一人に数えられる伊東安兵衛という人物です。

 現在も2階の2部屋部分に伊東の民芸空間を見ることができますが、現存する伊東作品が少ないことから、大変に貴重な空間といえましょう。

 なお、昭和49年に3回目の店舗改装を行っていますが、これは小田部温の設計です。

 建築を良く見てみますと、民芸の世界感が表現されているのがわかります。

 ファサード全体はハーフチェンバースタイルの洋風建築で大谷石や煉瓦、タイルといった自然素材が使われています。

 内部に入りますと、野太く、黒い柱材や梁材が骨格を成す古民家のような和風空間であり、機能的には椅子式の洋風空間です。

 家具は松本民芸家具と北海道民芸家具が使用され、インテリアと建築空間が一体となっています。また、室内には川上澄夫や香川軍男などの版画が数多く飾ってありますが、これは二代目店主が川上澄夫と交流があったことによるもので、メニューや暦、マッチレッテル、年賀状なども彼らの作品になっていました。まるでミニ美術館の様相です。

 川上澄夫は濱田庄司とも交流があり、民芸にも係わってきた人物といいますから、この第一洋食店と民芸とは縁があるんでしょうね。

 随所に凝ったディティールが施されていますが、写真を参照していただくのがわかりやすいと思います。まずは、多くの文化人も集ったという歴史性のある空間をご覧になりながら、気高い洋食を堪能すれば、一層、味わい深く建築を旅することが出来るのではないでしょうか。

 苫小牧も「文化都市なんだなぁー」と実感させてくれる記憶の建築でもあります。

 

改装 - 1957年(昭和32年)、1974年(昭和49年) 

構造・規模 - 木造2階建                   

所在地 - 苫小牧市錦町1丁目6−21

設計者 - 伊東安兵衛(昭和32年改装時)・小田部温(昭和49年改装時)

苫小牧市 編 ③

苫小牧市庁舎

 苫小牧市庁舎は高層棟、エントランスホール棟、旧棟の3棟からなり、敷地西側をペデストリアン動線、東側を駐車場及びサービス動線としています。

 印象的なのは、アルミパネルと煉瓦タイルのパターンを変化させた3層構成のファサードです。ファサードに2次元的な幾何学パターンを施し、「ドレスアップしたモダン」というカテゴリーに属するといわれます。

 

 苫小牧市庁舎は日本で最も早くこのパターンを取り入れたものであり、このカテゴリーの代表作は東京都庁舎(丹下健三1991)です。

 パターン自体が装飾だと言う点ではポストモダン的だとも言えるし、アールデコ的だとも言えましよう。

 

竣工:1983年(昭和58年) 

構造・規模:鉄骨鉄筋コンクリート造12階建

所在地:苫小牧市旭町4-5-6

設計者:北海道岡田新一設計事務所

施工者:鹿島・竹中JV