建築を旅してplus
道央 編 (Ⅱ)①
旧樺戸集治監本庁舎 ━ 月形町
集治監とは、刑務所のことですが、1879年(明治12年)の東京集治監(小菅)、宮城、そして、この樺戸、明治15年には空知(三笠)、明治16年には三池、明治19年釧路(標茶)と設置されています。
樺戸集治監は1881年(明治14年)、内務省直轄で設置されました。
この地は開拓使本庁に程近く、山と石狩川に囲まれた地形が逃走に不利であること、農耕作業にも適していたことなどが、選定理由のようです。
樺戸集治監の初代典獄(監獄の長)には権小書記官であった月形潔が就任、月形町の開村となります。
刑期12年以上無期までの重罪男囚徒2000人近くが収容され、特に思想犯といった反政府分子の流刑地として知られており、囚人は上川道路を始めとする道路開さくや農地造成に使役されたといいます。
東京小菅集治監からは、明治の脱獄王、五寸釘寅吉(西川寅吉)らが押送されてきましたが、この樺戸でも三度の脱獄を成功させるといったエピソードが残されています。
ロシアの南下政策に対応するための開拓といった要因も大きかったようですが、屯田兵や移民の入植が可能となるべく開拓の基礎を囚人が担った功績というのはとても大きいとされています。
さて、建物を見てみましょう。この建物は明治19年に焼失後、再建されたものです。
なお、大正8年に廃監となり、その後、役場庁舎などに使われて、現在、月形樺戸博物館として活用されています。 コの字形平面で、奥まった中央に小さな玄関のある洋風建築です。
屋根の深い軒は和風持送りが支えています。屋根材は建設当初と同じ銅板葺きでしょうか。
玄関ポーチの磨り減った札幌軟石の石段を見ますと、当時の様子が生々しく蘇りますね。
内部には行刑資料などが展示されています。
竣工 - 1886年(明治19年)
構造・規模 - 木造平屋 495㎡
所在地 - 樺戸郡月形町1219
受賞歴・指定等 - 月形町指定文化財
道央 編 (Ⅱ)②
華月館 ━ 滝川市
この建物、華月館の前進は明治後期に建てられた御料局舎(宮内庁の出先機関)で、木造平屋建ての和風建築でした。
1914年(大正3年)には、三浦庄作という人物が譲り受けることになり、翌年には外観を洋風にした木造2階建て部分を増築、和洋折衷の建物:旅館三浦屋として再開します。
その後、1930年(昭和5年)には滝川ホテル三浦華園と改称、1980年(昭和55年)には開基90周年を記念して増改築しましたが、滝川市はこの建物を譲り受け、滝川市指定文化財として現在地に移築保存しました。
現在は、歴史的建造物として、滝川市の郷土資料館分館「華月館」という名称になっています。
建物を見てみましょう。 和風平屋部分に入母屋造りの正面玄関があります。
正面左側には寄棟屋根で2階建ての洋館になっていますが、これが増築部分になります。
台形の出窓部分が特徴的ですね。
内部には1階が洋間と座敷、2階は和風の座敷になっているといいます。
この建物は、静寂で緑豊かな空間の中にあり、とても趣を感じます。
竣工- 1915年(大正4年)
構造・規模 - 木造平屋建、一部2階
所在地 – 滝川市南の川108の8
受賞歴・指定等 – 滝川市指定文化財
道央 編 (Ⅱ)③
滝の上発電所 ─ 夕張市
夕張の「滝の上発電所」は1925年(大正14年)1月に北海道炭礦汽船株式会社(いわゆる北炭)が炭坑の自家発電設備として建設した小規模水力発電施設で、北炭滝之上水力発電所と呼ばれていました。
その後、電力需要の増大に伴い、1926年(大正15年)に清水沢火力発電所が竣工されるなど、ともに炭鉱の電化・機械化を支えてきました。
北炭の夕張での採炭事業の撤退後は、何度か所有者の移転を経た後、1994年(平成6年)4月から北海道企業局が運営・管理しています。
紅葉で有名な「滝の上公園」の園内に建っていますが、この公園は夕張川の侵食によってできた「千鳥ヶ滝」、「竜仙峡」など大小無数の滝と奇岩がそびえる渓谷と四季の自然が美しいことから、多くの観光客が訪れています。
この建物はれんが造の外壁に、白色の櫛型アーチが窓の上部を縁取っているのが特徴で、周辺の緑や紅葉の景色と見事に調和しています。
外壁をよく観察します。段ごとに、煉瓦の長手と短手を交互に見せるイギリス積みです。
側面は柱で4分割され、さらに、2本のバットレス(控え壁)がファサードを引き締めています。
煉瓦が、何やら、黒くなっていますが、聞くところによりますと、戦時中に米軍機へのカモフラージュとして、タールで真っ黒く塗りつぶした跡だとのことです。
さらに、よく見ます。建物正面の大きな窓の上側(白い縁取りの下側)にある星印のマークは、赤いステンドグラスでデザインされた北炭の社章です。
内観を見なければ、なかなかその美しさを感じ取ることは難しいようです。
通常は立ち入りが禁止されていますが、一般公開などのチャンスを待ちたいと思います。
竣工 - 1925年(大正14年)
構造・規模 - 煉瓦造平家 鉄骨トラス
所在地 - 北海道夕張市滝ノ上5番地
設計者 - 北海道炭礦汽船株式会社
受賞歴・指定等 - 北海道遺産「空知の炭鉱関連施設と生活文化」の一部に選定
道央 編 (Ⅱ)④
旧国鉄冨内線冨内駅舎 ─ むかわ町穂別
冨内駅は鉱山資源開発・運搬用として着工された金山線の終点駅で、1923年(大正12年)に開業されています。
当時は、パルプ原木やクローム鉱石、石炭を搬出するなど、活躍した時期もありましたが、1986年(昭和61年)には惜しまれつつも廃駅となりました。
その後、「ほべつ銀河鉄道運動」により、駅舎、プラットホーム、レールなどが保存され、現在も住民有志が維持管理をされているとのことです。
この駅舎は大正期の標準的なつくりで、待合室、事務室、宿泊室からなり、当時の鉄道用具やロケ地となった映画のポスターなどが保管されています。
竣工 - 1923年(大正12年)
構造・規模 - 木造平屋建 切妻屋根 鉄板葺 91㎡
所在地 - むかわ町穂別冨内81-1
受賞歴・指定等 - 登録有形文化財その他 - プラッホーム:石造 600㎡
道央 編 (Ⅱ)⑤
しらおい創造空間「蔵」─白老町
この建物は1906年(明治39年)に、札幌軟石を積み上げて造られた大小2棟からなる石造りの酒蔵でした。
醸造廃止後はマッチ軸工場、中学校校舎、そして農協の倉庫として利用されてきました。
その後、農協から施設・土地を白老町が購入し、運営団体に無償貸与してきましたが、平成12年からは、生涯学習活動拠点:しらおい創造空間「蔵」として活用されています。
現在は、多目的ホール・ギャラリー、和室などを設置し、各種教室、展示会、コンサートなどの催事が数多く開催されています。
竣工 - 1906年(明治39年)
構造・規模 - 木骨石造 平屋建
所在地 - 白老郡白老町本町1丁目7番5号
運営主体 - 特定非営利活動法人しらおい創造空間「蔵」
道央 編 (Ⅱ)➅
夢創館─恵庭市
JR島松駅正面の斜め向いに、この建物は建っています。
もともとは島松商業組合が保管用の倉庫として建築したもので、石造平屋建ての建物です。(一部書籍には地元産の島松軟石を使ったとあります)
この用途の建物は流通拠点として、駅に隣接することが多かったようですね。
その後、恵庭商業協同組合が使用、さらに恵庭村農業協同組合が米貯蔵庫として使用するといった経緯がありましたが、1992年(平成4年)からは、遊休施設となっていました。
しかし、石造独特の雰囲気を持つ、この歴史的な建築物を保存・再生しようとする動きがおこり、文化団体、農協、行政の3者の協働により、1998年(平成10年)に恵庭文化村協議会が発足、翌年には、市民の交流や文化活動の場として、また、まちの活性化につなげていく場として、「夢創館」と名づけられ、再生が図られました。
現在は、特定非営利活動法人 島松夢創館倶楽部が指定管理者として夢創館を管理運営しています。
竣工 - 1937年(昭和12年)
構造・規模 - 石造平屋建て
所在地 - 恵庭市島松仲町1丁目2-20
受賞歴・指定等 -
その他 - 旧島松商業組合第3号倉庫
道央 編 (Ⅱ)⑦
旧空知集治監典獄官舎煉瓦煙突 ━ 三笠市
道央編Ⅱ①の旧樺戸集治監本庁舎でも述べましたが、集治監(しゅうじかん)とは、国立刑務所のことで、典獄とは現在の刑務所長にあたる役職のことです。
地理的な要因からでしょうか、明治期の北海道には集治監の設置が集中します。
その建設は樺戸(現月形町、1881年)、空知(三笠市、1882年)、釧路(標茶町、1885年)、網走(1891年)、十勝(帯広市、1893年)の順でした。
さて、この敷地は、明治15年から34年にかけて使われていた空知集治監や典獄官舎の跡地です。官舎は平屋建て約80坪もあり、当時集治監を訪れた明治の要人たちのほとんどがこの家に宿泊したとされています。
現在は高さ約8mの煉瓦煙突のみが残り、三笠市の指定文化財に指定されています。
空知集治監は幌内炭鉱採掘のために囚人を集めた施設ですが、煙突も囚人らの手によって建造、使われた煉瓦も集治監で製造されたものです。
比較的小さな煉瓦(184.8×99.7×52.0)が使用されていることが特徴です。
竣工 - 1890年(明治23年)頃
構造・規模 -煉瓦造
所在地 – 三笠市本郷町705
受賞歴・指定等 – 三笠市文化財
道央 編 (Ⅱ)⑧
千栄神社本宮─日高町
1910年(明治43年)に開拓民の心のよりどころとして、現在のHOA北海道アウトドアアドベンチャーズのあたりに小さな社(やしろ)を建てたのが 千栄神社(チサカジンジャ)のはじまりといわれます。
現在の本宮は1921年(大正10年)の移転の際に宮大工を迎え、住民の総力によって建立された本格的社寺建築(千呂露神社チロロジンジャと命名)で、日高地域に現存する最古の神社建築です。
その後の歴史を紐解きますと、1943年 (昭和18年)、千栄神社本宮の名称に改称、1960年 (昭和35年)には日勝道路建設予定地コ-スに触れたため現在地に移動しています。
さらに、1989年(平成元年)旧日高町文化財第一号指定を機に、道路面より低くなった本宮を高床式のコンクリート架台に載せて保存したため、まるで出雲大社の復元高層模型のような不思議な姿になっていますね。
竣工:1921年(大正10年)
構造・規模:木造平屋 一間社流造(いっけんしゃながれづくり) 柱間隔1.7m
所在地:日高町千栄(ちさか)
施工:望月兵蔵(棟梁)
道央 編 (Ⅱ)⑨
飯田家住宅主屋
飯田家住宅主屋は日高町門別の太平洋に面した海辺に建つ住宅です。
東面に玄関を構えています。西寄りに応接用の洋間を持ち、矩折れの廊下を介して北西側に二室の座敷を配しています。
一五畳主室は棹縁天井を高く張り、大振りの床を構える座敷飾を備え、上下窓を並べています。和洋の意匠を取り混ぜた上質な住宅です。
2015年11月17日に登録有形文化財(建造物)として登録されました。
※内部調査は不可だったため資料によるものです。
所在地:北海道沙流郡日高町門別本町92他
建築:主屋=明治/1898~1912/1965改修
構造・規模:主屋=木造平屋建、鉄板葺、建築面積169㎡ 1棟
指定等:登録有形文化財(建造物)